MEDIA DOGS

豊明市が決めた「スマホは1日2時間以内」条例に賛否「家庭に口出ししすぎ」論争へ

なぜ「2時間」? 根拠と実効性に疑問の声

批判の矛先は、特に「2時間」という数字の根拠に向けられている。「なぜ3時間ではなく2時間なのか」という問いに対し、市側から誰もが納得する明確な科学的エビデンスが示されたとは言いがたい状況だ。

東北大学の川島隆太教授の研究などを引き合いに、長時間使用が子どもの脳の発達に与える影響を指摘する声もあるが、それが「全市民の余暇2時間」という目安に直結するわけではない。

「家庭への介入」という批判

「おせっかいだ」という感情的な反発も根強い。余暇の過ごし方は個人の自由であり、家庭内で決めるべき事柄。そこに行政が具体的な時間まで示して踏み込むことへのアレルギー反応は、想像に難くない。条例が可決されたとはいえ、この根本的な価値観の対立が解消されたわけではない。

曖昧な「余暇時間」の定義

さらに問題を複雑にしているのが、「余暇時間」の定義の曖昧さだ。市は「仕事や学習、家事などを除く時間」と説明するが、線引きは難しい。通勤中にニュースを読むのは? 料理のレシピを動画で確認するのは? 市長自身も「支障がなければ2時間が3~5時間になったところで問題ない」と発言しており、目安である「2時間」という数字が独り歩きすることへの懸念も指摘されている。

「こうしましょう」条例は他にもある

実は、豊明市のように具体的な数値目標を掲げる例は珍しいが、行動を促す理念条例自体は過去にも存在する。

最も有名なのが、2020年に施行された「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」だろう。 こちらは対象を18歳未満の子どもに限り、ゲームの利用時間を「平日60分、休日90分まで」と目安を定めた。これも罰則はなく、当時から「違憲ではないか」と大きな議論を巻き起こした。

他にも、京都市の「子どもを共に育む京都市民憲章」の実践条例など、自治体が住民に対して特定の行動や価値観を「推奨」する条例は存在する。これらは、法的な強制力で社会を変えるのではなく、問題提起や意識改革を促す「旗振り役」としての役割を期待されている。

社会に投げかけられた問い

豊明市の条例は、ある意味で社会実験だ。罰則がない以上、その成否は市民の行動がどれだけ変わったかではなく、この条例をきっかけに、どれだけ多くの人がスマホとの距離感や家族との対話について真剣に考えたかで測られるべきなのかもしれない。

便利すぎるがゆえに、私たちの時間を静かに奪っていくスマートフォン。それとどう向き合うか。個人の問題か、家庭の問題か、それとも社会全体で考えるべき問題か。豊明市の「おせっかい」とも言える条例は、私たち一人ひとりに問いを投げかけている。

[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Return Top