なぜ「愛妻家」が再評価されたのか?
対比されるカリスマたち
この炎上の火に油を注ぐと同時に、全く別の人物にスポットライトを当てる皮肉な現象が起きた。俳優の木村拓哉である。SNS上では、ヒカルの行動と対比する形で、長年妻の工藤静香と連れ添い、スキャンダルとは無縁の木村を称賛する声が相次いだのだ。
自らをと称するヒカルが「自由」や「ハーレム願望」を公言したことで、図らずも木村拓哉や、同じく愛妻家として知られる反町隆史、堺雅人といった俳優たちの「一途さ」というブランド価値が、相対的に急上昇したのである。
「誠実さ」という新たなブランド価値
なぜ今、「愛妻家」がこれほどまでに強い輝きを放つのか。それは、現代社会の価値観の変化と無関係ではないだろう。結婚の形が多様化し、「個人」の生き方が尊重される時代になったからこそ、逆に一つのパートナーシップを誠実に、そして長期にわたって育むという行為が、希少で価値あるものとして認識されるようになった。
富や名声、そして「自由」を手に入れた人間が、それでもなお一つの愛を選び続ける。その姿に、人々は表面的な成功を超えた「人間としての深み」や「本物のカッコよさ」を見出すのかもしれない。それは、不安定な時代だからこそ求められる、揺るぎない「信頼」の象徴とも言える。
令和のカリスマ像――「自由」から「信頼」へ
ヒカルはこれまで、常識を打ち破り、欲しいものを手に入れる「自由奔放」なスタイルで多くの若者の支持を集めてきた。過去の炎上すらも、自身の知名度を上げる燃料に変えてきたでもあった。
しかし、今回の騒動は、そのカリスマ像がもはや万能ではないことを示した。特に、結婚という他者を巻き込む「契約」において、あまりに自己中心的な「自由」を追求する姿は、多くのファンにさえと映った。
今回のヒカルの炎上騒動は、彼個人の問題にとどまらず、令和の時代が求める「カリスマ」の条件が変化していることを浮き彫りにした。かつて人々を熱狂させたかもしれない「何物にも縛られない自由」という物語は、今や「誰かを幸せにする責任」という物語の前では色褪せて見える。
富や名声を手に入れることよりも、築き上げたものを守り、大切な人との信頼関係を育むこと。その「誠実さ」こそが、現代における最も強力なブランドであり、真のカリスマ性を構成する要素なのかもしれない。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]
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